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2019.11.26

作家・北康利さんが振り返る。大阪は多様性と向き合い、強烈なポテンシャルを発揮する街

Photo by 清家志朗
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目次

偉人の人生は「杖」となる!厳しい現代で迷わぬためにに引き続き、北康利さんにお話を伺います。

北さんは天王寺高等学校を卒業するまでの青少年期を、大阪で過ごされました。垣内がミライロを創業した地も、大阪です。前記事で北さんは、自分を育ててくれた土地にも誇りと感謝を持つべきだ、と語ってくれました。

PROFILE
話す人

北 康利(きた やすとし)
北 康利(きた やすとし)

1960年愛知県名古屋市生まれ。東京大学法学部卒業後、富士銀行に入行。資産証券化の専門家としてみずほ銀行財務開発部長等を歴任。2008年6月末でみずほ証券を退職し、作家活動へ専念する。100年経営の会顧問、日本将棋連盟アドバイザーなどを務める。
自らが語る弱み(バリア)は「自分の意志の弱さ」。逆手に取って語る強み(バリュー)は「意志が弱いからこそ、どんなことなら意志を貫けるかを吟味できた」。


INTERVIEWER
聞く人

垣内 俊哉(かきうち としや)
垣内 俊哉(かきうち としや)

1989年に愛知県安城市で生まれ、岐阜県中津川市で育つ。生まれつき骨が脆く折れやすいため、車いすで生活を送る。自身の経験に基づくビジネスプランを考案し、国内で13の賞を獲得。障害を価値に変える「バリアバリュー」を提唱し、大学在学中に株式会社ミライロを設立した。高齢者や障害者など誰もが快適なユニバーサルデザインの事業を開始、障害のある当事者視点を取り入れた設計監修・製品開発・教育研修を提供する。


大阪は、多様性と向き合い続ける街

大阪はLive(住む)する街より、Survive(生き残る)する街でした。オチのない話は聞いてもらえないし、ツッコミを入れないと怒られるし。(笑)
北さん
垣内
垣内
私も大阪で「常に笑いを取らないと」というプレッシャーに、ずいぶん鍛えられました。
1970年の大阪万博は、堺屋太一さんが尽力されたでしょう。当時、私も堺屋さんに呼ばれて「お前も大阪の人間やったら、なんか面白いこと考えてみい」と叱られたんです。4時間半も。
北さん
垣内
垣内
4時間半も!(笑)
「Something new」よりも「Something interesting」にこだわるのは、日本中見渡しても、大阪だけですよ。
北さん
垣内
垣内
大阪は面白いだけではなくて、バリアフリーが最も進んでいる街でもあります!例えば、点字ブロックを開発したのは日本。その日本でも、点字ブロックを初めて敷設した駅が、大阪のJR西日本 阪和線「我孫子町駅」です。
ええっ、あんな下町なのに?
北さん
垣内
垣内
日本で初めて地下鉄にエレベーターを設置したのも、大阪メトロ 谷町線「喜連瓜破駅」です。駅にエレベーターという概念すら、まだ無かった時代ですから、大阪人の偉業と言えます。
知りませんでした……。そう言えば、1931年に大阪城を復元した時も、すぐにエレベーターが設置されましたね。
北さん

文化的価値の高い大阪城跡へのエレベーター設置は、当時非常に思い切った施策と言われました。復元の費用は、行政ではなく市民から寄付が殺到し、予定額よりはるかに多い金額が、はるかに早く集まったそうです。

やっぱり、人情の街だからかな?
北さん
垣内
垣内
多様性と向き合い続けた街、という見方もあると思います。
多様性、で思い出しました。私が高校生の時、クラスメイトの多くは在日韓国人・朝鮮人だったんです。当時から、国籍や文化が違う友人と過ごすのが当たり前でした。
北さん
垣内
垣内
ダイバーシティという言葉が流行る前から、多様な人と向き合ってきたのが大阪ですね。

車いすの人を客引き!衝撃の体験からわかったこと

垣内
垣内
私は以前、大阪で衝撃的な体験をしまして……。
へえ。どんな体験ですか?
北さん
垣内
垣内
鶴橋で焼肉屋のお兄さんに、客引きされたんです。車いすに乗っている私が客引きされたのは、後にも先にも大阪だけでした。
それはおもしろい!
北さん
垣内
垣内
しかもお兄さんの声かけがまた秀逸で。「今なら一階のテーブル席が空いてますよ!」って言われました。
ああ、なるほど。二階にあがれないだろう、カウンター席は困るだろう……と予想したんですね。すごいなあ!
北さん
垣内
垣内
多様性と向き合ってきた「経験値」だと思いました。しかも慈悲の心じゃなくて、客引きという営業精神だったのも気持ちよかったですね。
大阪人って、「タダ(無料)のもん」は徹底的にサービスしますよね。マクドナルドのスマイル0円よりずっと前から、駅の売店のおばちゃんはめちゃくちゃ愛想が良かったですし。
北さん
垣内
垣内
東京から大阪に帰ってきて売店に寄ると、なんだかホッとします。
客引きのお兄さんにも通じると思いますが、声がけも愛想もタダなんだから、どうせなら喜んでもらいたいって人が多いのかも。結果的にそれが、儲けにもちゃっかり繋がったりするし。
北さん
垣内
垣内
車いすに乗っているとか関係なく、空いている席にお客が入れば、儲けもんですからね。
ティッシュ配りも、東京は無視されることが多いみたいですよ。大阪だと、どこからともなくおばちゃんが現れて「ノルマ大変やろ?ここに入れとき」って、鞄をガッサーと開いたのを見ました。
北さん
垣内
垣内
すごい。(笑)

企業の発展のために、障害者は必要

ビジネスでもバリアフリーでも、大阪が持つポテンシャルって大きいと思うんです。歴史的な背景を見てもわかりますよ。
北さん
垣内
垣内
どんな歴史ですか?
大阪の船場商人に代表されるように、あきんど(商人)の文化がありますよね。昔の商人は、家族に障害者が生まれたら「福の神」として育てていました。
北さん

生まれた障害者を育てると、その家には福が訪れて、永く繁栄すると言い伝えられていました。しかし、北さんは、言い伝えではなく事実として繁栄した、と言います。

現代のビジネスマンにも共通しますが、ものを売るには市場や時流に対してアンテナを張っておかなければいけませんよね。人を思いやる気持ちや優しさがあれば、そのアンテナは自然と高くなるんです。
北さん
垣内
垣内
障害のある家族と過ごすことで、商人としてのスキルが磨かれていったんですね。
「日本資本主義の父」と言われる渋沢栄一さんの人生を見ても、同じです。渋沢さんは弱者に対する優しさを持っていたから、最強のビジネスマンになれました。
北さん
垣内
垣内
それなら、障害者雇用を進める企業が繁栄する、ということも実現できそうですね。
障害者雇用は絶対に進めた方が良いです!
北さん
垣内
垣内
絶対に、ですか!
松下幸之助さんのパナソニック(旧社名:松下電気器具製作所)だって、昔は男性の従業員がほとんどでしたが、女性を雇用するようになってから、女性にヒットするプロダクトが続出しました。障害者の雇用も、きっと同じことが起こりますよ。障害者は企業にとって必要な存在です。
北さん
垣内
垣内
ライターの開発の経緯を見ても、そうかもしれません。

ライターを発明したのは、第一次世界大戦で腕を失った兵士、つまり障害者でした。彼らはマッチをこすって、タバコの火をつけられなかったからです。障害者の発明が、今や世界中で、誰もが使う商品になりました。

今は人生100年時代ですから、生きている誰もが足腰が悪くなったり、聴覚や視覚が衰えたり、障害者と同じ状態になります。他人事ではないですから。今から、障害者が働く場所や使う製品のことを、考えなければいけません。
北さん
垣内
垣内
そうですね。
生物学を説くダーウィンも「生き残るのは最も賢い人でも、最も強い人でもなく、最も変われる人だ」と言っています。多様性に順応し、変化できない生物は、必ず滅びてしまうんです。企業も、街も、人も、私は同じだと思います。
北さん
垣内
垣内
変化があるから、日常に感謝できるのかもしれません。

 

垣内は普段、自分の足で歩きたいと思っていますが「車いすに乗れることすら、ありがたい」と思えたのは入院して寝たきりになった時だと言います。変化があったからこそ、車いすで移動ができている日常に感謝し、その中でやるべきことがクリアに見えたそうです。

変化すれば二度と戻らないかもしれないけど、勇気を出して変化しなければ、パフォーマンスを維持し続けられないのが、私たちですからね。
北さん
日本でいちばん格好いいといわれている男・白洲次郎。明治35年に兵庫県で生まれ、英国へ留学。戦後、吉田茂の側近として日本国憲法制定の現場に立会い大きく関与しました。しかし、彼は表舞台には立たずに、在野精神というダンディズムを貫き通すのでした。初めて知る方にもお勧めの、白洲次郎評伝決定版。
WRITER
執筆・編集
岸田奈美
1991年生まれ、神戸市出身。下半身麻痺で車いすユーザーの母(ひろ実)と、生まれつきダウン症で知的障害のある弟(良太)と暮らす。亡き父の才能をくまなく受け継ぎ、自分が愛するものに関して、100文字で伝わることを2000文字で伝える。

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