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2020.07.3

臨済宗円覚寺派・横田管長に教わる、絶望している人への向き合い方とは

Photo by 難波由香
INDEX
目次

1282年、執権・北条時宗の時代に開山された臨済宗大本山円覚寺。管長を務める横田南嶺さんと、講師の岸田ひろ実が、これまでの人生を通して出会った絶望や苦しみとの向き合い方について、対談しました。

PROFILE
話す人

横田 南嶺(よこた なんれい)さん
横田 南嶺(よこた なんれい)さん

臨済宗円覚寺派 管長。1964年和歌山県生まれ。1987年筑波大学卒業。在学中に出家得度し、卒業と同時に京都建仁寺僧堂で修行。1991年から円覚寺僧堂で修行し、1999年に円覚寺僧堂師家。2010年より臨済宗円覚寺派管長に就任。


INTERVIEWER
聞く人

岸田 ひろ実(きしだ ひろみ)
岸田 ひろ実(きしだ ひろみ)

株式会社ミライロ 講師、日本ユニバーサルマナー協会 理事。1968年大阪府生まれ。知的障害のある長男の出産、夫の突然死を経験した後、自身も大動脈解離で倒れる。手術で一命を取り留めるが、後遺症で下半身麻痺に。病床で心理セラピーを学んだ後、現在は高齢者や障害者への向き合い方の研修や講演で活動。


悩みの答えは、その人の問いの中にある

お話をうかがえること、とっても楽しみにしていました。今日はよろしくお願いします。
岸田
横田さん
横田さん
いえいえ、こちらこそ。最初に岸田さんのお話を聞いた時、感動しました。なんて素晴らしい人がいるんだろうと。
そんな……いつも横田さんのご法話やご著書から、勉強しています。
岸田
横田さん
横田さん
ありがとうございます。今日は、どんなお話から始めましょうか?
横田さんのもとには、人生に悩んだり苦しんだりしている方々からのご連絡がたくさん届くと思います。私のSNSにも、そういったご連絡をたくさんいただくのですが、最近は私なんかがお返事しても良いものか、迷っています。
岸田
横田さん
横田さん
今までは、全部返信されているんですか?
はい、できる限りは。移動中や寝る前に、返信しています。
岸田
横田さん
横田さん
それはなかなかできないことですよ。大変でしょう。
でも、人生に絶望して、悲しみの底に沈んでいる人からのお話を聞くたびに、かける言葉がなくて。
岸田
横田さん
横田さん
それはなぜですか?
私は、自分が経験したことなら、少しはお伝えできることがあると思っています。でも、例えば、がんで余命宣告をされた人からご連絡をもらった時は、私はがんになったことがないから、その本当の苦しみがわかりません。私は大動脈解離という大病を患って、リハビリをして、この先の命を伸ばしていくことに向き合ってきた人です。だから、ごく短く限られてしまった命に向き合っていく人の、救いになる言葉は、想像ができないんです。
岸田
横田さん
横田さん
なるほど。
なんとか答えてみても、私の言葉は薄っぺらいような気がして、返信をしたあとに苦しくなります。ただ気持ちに寄り添うだけで、なにもしてあげられないんです。
岸田
横田さん
横田さん
それで良いんですよ。話はね、聞くだけで良いんです。
なにも解決策を示すことができなくても、それで良いんですか?
岸田
横田さん
横田さん
はい。禅宗では「答えは問いにある」と言います。問いを口にした時点で、答えはその問いの中に入っているんです。「これをした方が良いんだろうか?」という質問には、「これをした方が良いんだ」というのが答え。人は最後のひと押しが欲しくて、問うんですよ。
「答えは問いにある」、ですか……。
岸田
横田さん
横田さん
5年前くらいになるかな。30代半ばの女性から、手紙が届きました。読んでみると「自分はがんで余命いくばくもない」という内容でした。何度か手紙のやり取りをしていると、女性は乳がんで、治療のために失った身体の一部を憂いてしまうこと、幼い息子さんを遺して逝ってしまうことを心から悔やんでいることが、ちょっとずつ、ちょっとずつわかってきました。
横田さんは、なんとお返事をされたんですか?
岸田
横田さん
横田さん
たいしたことは、なにも。「そうですか、辛いですね」「寒くなりますからお体を大事に」などと、思ったことをそのまま書きました。でも、女性にとっては、苦しい状況を誰かが知ってくれていることが原動力になったようで、少しずつ、手紙の内容が前向きになっていきました。
ああ、よかったです。横田さんのお手紙で、生きる気力が沸いたんですね。
岸田
横田さん
横田さん
でも、病状は刻々と悪くなり、「家族で私の親元へ帰ることになりました。夏休みには円覚寺へ、法話を聞きに行きます」という内容を最後に、手紙は途切れました。しばらくしてから、女性のお母さんから林檎の小包が送られてきて「娘は最期まで周りの人に感謝を伝え、私は幸せだったと言い、亡くなりました。我が娘ながら立派でした。横田さんからいただいたお手紙のおかげです」というお母さんの手紙が添えられていました。
円覚寺に来られることは、叶わなかったんですね……。
岸田
横田さん
横田さん
後に女性の旦那さんと、ご両親と、息子さんが円覚寺に来てくれて、女性とははじめて遺影で対面しました。毎年、林檎の小包が届くたびに思い出します。私はがんを治せないし、病院へ行ってそばで手を握り続けることもできません。ただ、苦しみや悲しみに耳を傾けて、簡単なお返事をすることだけです。でもきっと、それで良いんです。
アドバイスをするのではなく、心の状態を受け入れてあげるということですね。なぜなら、答えはその人自身が持っているからだと。
岸田
横田さん
横田さん
先代の管長から、お坊さんは3つの言葉だけを持てば良いと教わりました。「ああそうですか(相槌)」と「良かったですね」と「困りましたね」の3つです。こちらから決して語るのではなく、強いて言えば、話題に困ったら天気の話をするくらいだと。
そうすると、あちらから話し出してくれるんですか?
岸田
横田さん
横田さん
はい。これも先代の管長から聞いた話ですが、サッカーが大好きな小学生の男の子のご両親から、重い相談があったそうです。男の子は骨の病気で、足を切断しなければならない状況だが、どうすれば良いかと。男の子は、サッカーができなくなるくらいなら死んだ方がマシだと落ち込んでいました。そんな状況で「手術をした方が良い」なんて、口が裂けても言えません。できることは、想像を絶する苦しみを聞き、共感することだけです。最終的に、ご家族は切断を選び、苦しみながらも、なんとか頑張って生きていくようになったと聞きました。
聞いているだけで、自分に重なって胸がいっぱいになりそうです。私も下半身麻痺の後遺症が残った時、周囲の人からいろんなアドバイスをもらいました。「カラオケに行くと、リハビリに必要な腹筋を鍛えられるよ」とか。今ならそれは相手の優しさとして受け取ることができますが、当時はそんなことを言われても、辛いだけでした。歩けないという絶望は、どうせ他人にはわからない、と考えていました。
岸田
横田さん
横田さん
そんな時、岸田さんが救われたのはどんなことでしたか?
私と一緒に泣いて落ち込んでくれたり、「今日は車いすに乗ってコンビニまで行けたよ」などと、小さなことを一緒に喜んでくれたりする人に救われました。
岸田
横田さん
横田さん
そうですよね。「ああすると良い」「こうすると良い」と言ってくる人よりも、ただフラッとやってきて、お茶を飲んでお菓子を食べて帰って、「あの人、何しに来てるんだろうね?」って言われるくらいの人に、救われたりしますよね。
私にとっては、まさにそれが娘でした。お見舞いに来てくれたと思ったら、私の車いすを「ラクチンだから」と言って勝手に乗って売店まで出かけたり、インスタント麺を買ってきて二人で食べたり、ベッドに乗ってきて昼寝したり。でも、それが日常というか、病気をする前となにも変わらない接し方をしてくれて、嬉しかったんです。
岸田
横田さん
横田さん
これも聞いた話ですが、ある男性が大切な奥さんを亡くして、ひどく落ち込んでいたそうです。いろんな人が入れ代わり立ち代わり、彼を励ましに来てくれるのですが、彼が一番救われたのは野良猫の存在だったそうです。野良猫がいつも同じ時間にやってきて、ニャーと鳴いて、またどこかへ去っていく。野良猫は彼を癒やすつもりなんてなかったと思いますが、彼はどんな人の言葉よりも、ただそこにいるだけの野良猫に救われた、と言っていました。
彼の気持ち、なんだかとてもわかります。私はお話を聞きながら、嬉しいなら嬉しい、悲しいなら悲しいと、自分が思ったことを素直に言葉にすれば良いんですね。
岸田
横田さん
横田さん
そうですね、それしかないと私は思っています。慈悲という言葉がありますが、「慈」は、積極的になにかしてあげるという意味です。寄付やボランティアなどですね。でも「悲」は、自分ではなにもできず、悲しみに打ちひしがれながらも、その人を思うという意味です。この二つはどちらも大切なんです。
話を聞いて、一緒に落ち込むだけというのは、慈悲の「悲」ですね。
岸田
横田さん
横田さん
私も、なにもできず悲しんだことがありました。東日本大震災が起こった時、なにかしなければと被災地へ行きました、私にできたのはわずかなことばかりです。被災地の様子を流すテレビを観て、そこへ行くこともできず、ただ涙を流して祈っている知人の僧侶がいました。その姿に触れた時、被災地へ行き人助けをすることも尊いが、被災地を思って部屋で涙を流すことも尊い、とあらためて気づいたんです。
私も、その患者さんと同じでした。祈ることしかできないんですよね。
岸田
横田さん
横田さん
祈りは大切と言いますが、難しい一面もあります。ものごとには多面性があります。日本に台風が近づいた時「台風がそれたら良いな」と祈る人は多いと思いますが、それたら違う地域へ行ってしまう可能性もあるわけです。祈りは自分勝手なこともあります。祈らないということも大事だと思っています。
なるほど。祈らない代わりに、横田さんは何を思うのでしょうか?
岸田
横田さん
横田さん
「なるようになる」と思ってお任せするということですね。
ああ、私も今振り返ると、人生はなるようにしかならなかったです。下半身麻痺になったのは辛いですが、そのおかげで気づいたことや、得られた縁もありました。
岸田

愛とは、信じて待つということ

もう一つ、横田さんにお尋ねしたかったことがあります。私は、子どもを育てる上でもっとも大切なことは“愛”だと思っています。横田さんは、どう思いますか?
岸田
横田さん
横田さん
そうですね……愛にもいろいろな意味がありますよね。岸田さんが考える愛とは、どういう愛ですか?
うーん……愛“情”とはちょっと違う気がします。情をかけても、見返りを求めてはいけない、というか。なんだろう。許すこと、に近いかもしれません。
岸田
横田さん
横田さん
なるほど、なるほど。私はこの頃、愛とは「その人を信じてあげる心」だと思っています。絶対的に信じること、これがお子さんに向き合う上でも、大切なんじゃないかなと。
ああ、そうです!それです!子どもの行動を見ていると、つい「こうしなさい」と忠告したくなるのが親ですが、子育てってずっと続くので、いつかしんどくなると思うんです。そんな時に、私は子どもを信じようと思いました。私がすべてを注いで育ててきたのがこの子なんだから、この子がやることは信じよう、って。
岸田
横田さん
横田さん
「こうやって育てたから大丈夫」ではなく、無条件に信じてあげる気持ちですね。あと、もう一つ要素を足すとするなら「信じて待つ」ということです。いまその人が辛い状況にあっても、必ず立ち直るはずだと、その力を持っているはずだと、信じてずーっと待ち続けるんです。それが愛なのだと思います。
そうか!待つっていうのも、愛ですよね。待つと愛するって、どちらも大切ですが、一つの言葉として考えたことがなかったので、いま目から鱗が落ちました。
岸田
横田さん
横田さん
野口三千三さんに教わった言葉で「信ずるとは、負けて、参って、任せて、待つことである」というのがありましてね。これを忘れてはいけないんです。

自然体を実践する野口体操で知られる野口三千三さんの名言に、「信ずるとは、負けて、参って、任せて、待つことである」というものがあります。信じるということは、物事をありのままに受け止め、その人や流れに任せて、あとは待つことに徹するのだという意味です。

その通りですね。私も息子が一年間、作業所に行かず、家に引きこもったことがありました。最初は社会に出て働かないことへの罪悪感で、あの手この手で復帰してもらおうとしたのですが、ふと冷静になってみたら、本当に社会で働くことが息子にとっての幸せなのだろうかと思い悩んだんです。家にいたら息子は、高齢の私の母の手伝いをしてくれるし、掃除や買い物もしてくれる。空いた時間は大好きな塗り絵をしていて、退屈な時間もなさそうなんです。辛い思いをしてまで今、無理に働かなくていいんじゃない?と、気づきました。
岸田
横田さん
横田さん
そうですか。視点が変わったから、待つことになさったんですね。
はい。結局は、作業所の雰囲気が合わなくて、息子が行きたがらなかったということもわかって。今はとても良い作業所を見つけて、毎日楽しそうに通って、働いています。
岸田
横田さん
横田さん
それは本当によかったです。
でも、私は娘や息子ならば、無条件に愛することができますが、やっぱりどうしても愛せない人と出会うことってありますよね。まったく性格が合わない人とか、いがみ合っている人とか。そういう人と出会った時、人はどうやって許して、信じて、待てばいいんでしょうか。
岸田
横田さん
横田さん
ああ、それはもう放っておくしかないんですよ。(笑)
えっ。関わらなくて良いんですか?
岸田
横田さん
横田さん
もちろん努力するに越したことはないですが、無理にあわせようとすると、自分が疲弊してしまいますからね。そういう人とは、しばらく距離を置くのが一番です。人に限らず、私は、自分の力でどうしようもない困難はすべて自然現象だと思っています。
自然現象と言うと、雷、台風、大雨なんかと同じですか?
岸田
横田さん
横田さん
そうです。傘をさしても外に出られないくらいの天気の日は、窓を閉めて、雨が過ぎ去るまで部屋の中でじーっと閉じこもっているしかないんです。以前、童門冬二さんへ「元気の秘訣は?」と尋ねたことがあるんですが、いくつか教えてもらった内のひとつに「なにが起きても自分が決して悪いとは思わないこと」というのがありましてね。すごいことを仰るなあ、と思ったものです。(笑)
たしかに、気が楽にはなるけど、ちょっと罪悪感がありますね。(笑)
岸田
横田さん
横田さん
でも、その話には続きがありましてね。「ただし、相手が悪いとも思わないこと。ただそんな出来事が起きているだけだと認識するんだ」と、仰っていました。
なるほど。私、以前横田さんから伺ったことで、「人間はみんな、自分のことが一番だと思っている」という考えで、気が楽になったことがあります。人間関係でトラブルが起きると、いつも悩みます。でも結局はみんな、自分を守ろうとして、自分に都合の良い考え方や発言をするんですよね。ひどいことを言われるとカッとなりますが、それも「ああ、あの人がそう言うのは、自分を守って、必死に生きるためなんだな」と思うと、すこし穏やかに捉えられるようになりました。
岸田
横田さん
横田さん
それが仏教の考え方ですからね。まずは現実をありのままに見つめるんです。キリスト教には「汝の敵を愛せよ」という教えがありますが、それが苦しい人もいますから。もともと善と悪は、共存しています。とんでもない悪人が身内には優しかったりね。人間というのはそんなもんだ、と私は思うようにしています。
深く考えて、悩んでも、仕方がないんですね。また気持ちが楽になりました。
岸田

ころばない人生はないから、絶望に慣れた方が良い

最後に、横田さんにとっての、苦手なことを教えてください。
岸田
横田さん
横田さん
そうですね……。法話と講演と対談です。(笑)
えっ、対談も!?(笑) 横田さんのご法話、とても面白くてためになるし、すごく素敵ですよ。
岸田
横田さん
横田さん
人前で話をするのが基本的に苦手で、終わったあとに罪悪感にさいなまされます。でも、人間はただ生きているだけで、誰かの命をわけていただいて生きているんです。苦手で辛いこともやらなければ、申し訳ないという気持ちもあります。苦手な人前での話も引き受けて、一生懸命準備して、聞いている人に喜んでもらえたら、それでようやく私は生かされているんじゃないかなと思います。
自分は生かされているから、苦手なことをやるくらいがちょうど良いんですね。これも横田さんから教えてもらったことで実践しているのですが、「全力を出し切ったら、また新しい学びが自分へ入ってくる」という言葉を支えにしています。私も講演は苦手ですが、横田さんのように一生懸命準備して、全力を出し切ることを心がけるようになりました。
岸田
横田さん
横田さん
岸田さんのご講演を聞くと、いつも感動しますよ。
嬉しいです、ありがとうございます。何回も絶望があった人生ですが、それを話すことで、誰かに喜んでもらえるなら、私自身も救われます。
岸田
横田さん
横田さん
岸田さんが絶望からどう生きていくのかを、皆さんへお伝えされているのは素晴らしいことです。人は絶望に慣れた方が、私は良いと思っています。転ばない人生なんてないんですから。柔道だって転ぶ練習から始めますよね。人もつまづいた時に立ち上がる訓練をした方が絶対に良いはずです。
横田さんのお考えをお聞きしているだけで、胸がいっぱいです。今日は本当にありがとうございました。
岸田

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